日本語教育系の大智みらいです。9月末から6月中旬までの約9か月間、トルコ共和国・チャナッカレにある、チャナッカレ大学に留学しました。
私がトルコを希望したのには、理由が2つあります。一つ目に、トルコは文化的にとてもユニークな国であること。アジアとヨーロッパ、さらには中東にもまたがる立地の中で育まれたトルコ独自の文化に心惹かれました。特に入学当時はコロナ禍で、大学へ行くこともできない閉塞感の中、もはや日本を飛び越え自分の知らない世界が見たい!という思いが強くなりました。2つ目に、チャナッカレ大学には日本語教育学科が存在したこと。日本語教師を志す私にとって、実際に日本語を学んでいる学生と交流でき、教育現場を見ることができるのは非常に魅力的でした。
トルコでは様々な種類のカルチャーショックに出会いましたが、一つ飛びぬけて印象的なのは、トルコの「人の温かさ」です。バスで隣に座っただけの私にクッキーをくれたおば様、トルコ語が話せない私の代わりにバスを確認し身振り手振りで伝えてくれたおじ様、「歓迎の印だから」「トルコを好きになってほしいの」とお土産をくれるクラスメイト…。
留学から帰るときには、計40キロの荷物を持って移動することになったのですが、トルコの人たちは困っている人を見捨てるわけがないと確信していたため、「まあなんとかなるでしょ」と楽観的に思うことができました。(そして本当に毎回助けてくれました。)もちろん外国人ゆえに理不尽な思いをすることもありましたが、ずっと日本で日本語を使って生活していた人間にとって、言語も文化も異なる環境で出会った人々の優しさは想像以上に深い感動を与えてくれるものでした。
だからこそ、滞在中に大きな地震が起こったことは非常にショックな体験でした。地震に伴い、学校の授業はすべてオンラインへ移行、せっかく仲良くなった友達も地元に帰り、一人で過ごす時間が多くなりました。「トルコにいる意味があるんだろうか」「いっそ帰ったほうが気持ちが楽かもしれない」とさえ思いましたが、友達が「せっかくトルコにいるんだから、私の家においで!」と声をかけてくれ、そこからは、友達の家にホームステイをしたり旅行へ出かけたりすることにしました。友達の家で断食(ラマダン)を体験したり、地元をガイドしてもらったり、気が付けば「留学生」では出来なかったかもしれない「市民としての生活」を沢山体験していました。
1年間の留学は、正直いまだになんと括ればいいか分からない、強烈な体験でした。その一つ一つが全く違う思い出として鮮明に自分の中に点在しています。広島大学は留学プログラムが豊富に揃っています。もし留学に興味があるなら、広島大学で日本語教育を専攻し、グローバルな視点を身につけた上で、留学をすることをぜひおすすめします。