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2022年の9月3日から9月14日までの、11日間でインドネシアのバンドン、バリ島のシンガラジャ、デンパサールに留学しました。

私がインドネシアへの短期留学を希望した理由は2つあります。ひとつ目はとてもシンプルで、大学生になったら絶対海外に行きたいと漠然と思っていたからです。しかし大学生と言えど実際になってみたら意外と忙しく、他の予定との兼ね合いによってできるだけコンパクトな留学を求めていた時に短期留学ができることはとても魅力的でした。ふたつ目はインドネシアで多様性を学ぶというプログラム目的に共感したからです。私は1年次から2年次にかけて日本語モデルクラスに所属していたのですが、そのクラスの中にいたインドネシア人の日本語学習者さんに紹介していただく現地での暮らしは、地方によって文化が多様で地方ごとに異なった言語が使われているなどと多種多様な文化・言語・宗教が混在していて、私たち日本人だけでなくその他の地域の学習者さんたちも自分たちの暮らしでは経験することが無く気づくことの出来ないような非常に興味を持つ内容でした。このように日本語教育学科での活動を通して多くの日本語教育の現場に携わり、自分たちと違う言語・文化・宗教などをもつ人々との接点が増える一方で、自分にはまだまだ排他的であったり配慮が不十分であったりする面が存在すると感じました。そのため異文化をもつ人々との共生について考えることは非常に重要であると考えたことが、「インドネシアで学ぶ多様性/大学の世界展開力(アジア)」というプログラム目的と一致すると考え渡航を希望致しました。

様々な文化体験をしましたがその中のひとつとして、インドネシアではいまだに独自性を維持している村文化が多数存在していて、その中でもふたつの村をピックアップして訪問したことが印象に残っています。ひとつめは何世代にもわたって多くの聴覚障害の方々が暮らしている聾者の村でした。手話はとてもシンプルで村のどのコミュニティにおいても障害による垣根はありませんでした。ふたつめはムスリムの中でも少数派の民族が営む村でした。禁じられた森を持ち、彼らはスピリットを外国から侵略された歴史を持っている一方で、観光村になることも期待していました。両村に訪問する前は、インドネシアといえば信仰するものも多様な分、禁忌も多いのではないかと少し怖くて息苦しいイメージを持っていましたが、突然訪問した私たちに対して積極的にコミュニケーションをとろうとしてくださって、排他的な面はひとつもありませんでした。このことは私の価値観を覆す貴重な体験でした。また、後者の村に日本人が来たのは初めてだったようで、村の集会所のような建物にある大きな世界地図に日本の1000円札を貼らせてもらいました。私たちとの交流のように村が徐々に外に開かれたものになっていくんだろうなと思うと同時に村の文化や環境を壊すことがないようにしたいと考えました。

また、今回のプログラムでは交流大学であったインドネシア教育大学(UPI)の学生が広島大学の学生1人につき1人バディとして留学中の全てにおいて私たちをサポートしてくれました。文化やその振る舞い方、そして言語についてはほぼ彼らから学ぶことが多かったです。現地の幼稚園、小学校、中学校、高校へ訪問見学させていただいた際には、どの学校でもレセプションセレモニーが開かれ、学生が披露する伝統的な舞踊や演奏などは圧巻でした。村の人々や、バディ、学校のこどもたちなどインドネシアで出会った人々のホスピタリティの精神が多様性を包括する社会基盤のひとつなのだと感じました。

11日間の留学は、その期間だけを考えるととても短い時間のように思えますが、そこから感じたことや学んだことはなにものにも変え難く、実に身の詰まった時間でした。広島大学の留学プログラムは多岐に渡っています。中でもSTARTプログラムは初めて海外に行くという人にとって、金銭的にも気持ち的にも比較的ハードルが低いものですが、それに加えて私は広島大学で日本語教育を専攻し、常にグローバルな環境に身を置くことでさらに留学した際の自分の振る舞いを向上させ、得られる学びを深くすることができました。学内の自販機に「この自販機での売り上げの一部はSTARTプログラムの支援に使われます」のような張り紙があるように、たくさんの方のご支援を受けて留学することができたことへの感謝の気持ちを忘れずに得られた経験を残りの大学生活に活かしたいと思います。